この日も3つ並べた褥に横たわりながら

夜。

この日も3つ並べた褥に横たわりながら、詩の目は冴えていた。

仁丸の褥からは、安らかな寝息が聞こえ始める。

信継は静かだ。

リーリーリー…外では虫が鳴く。

だんだん寒くなってきた、深まる秋。

じっと天井を向いて、目を閉じていた詩は、ゆっくりと目を開いた。

牙蔵が、2人と会わせてくれると言った。
会えると思うと、気がはやる。
戦のことも心配で、胸がざわつく。

ーーなんだか…寝られない…

もぞもぞと褥から抜け出して、一旦正座する。

チラリと見た仁丸はすっかり寝入っている。
寝顔はあどけなくて、まだつるんとしたキレイな顔。

信継はーー

すぐ目が合う。詩は驚いた。

「…寝られないのか?」

小さな囁き声。

頭の後ろで手を組んで、まっすぐ仰向けに詩を見ていた、信継。

「…」

詩は小さく頷いた。

信継は静かに起き上がる。

と、

「ちょっと散歩でもするか」

と微笑んだ。

詩はまた不思議な気持ちで信継を見上げーー小さく頷くと、信継の後に続いた。

履物を履き、戸を開けると、冷たい風が吹く。

思わずぶるっと震える詩に、信継は羽織を掛ける。

信継の香りーーほわっと温かいそれ。詩は頭を下げた。

「ありがとう、ございます」

「いい」

玉砂利が敷き詰められている地面を、2人でゆっくり歩く。
音に反応して、護衛が2人を見た。

そこかしこに控える護衛と、かがり火。高島の警備は夜も厳しい。

「…まだ、怒っているか」

「…」

詩が見上げると、バツが悪そうに信継が鼻を掻く。
洞窟でのことを言っているんだと、詩はやっと気づく。

「…いえ」

かぶりを振ると、信継はホッと息を吐いた。

「…ありがとう」

何故かお礼を言われ、詩は信継を見上げる。

「…初めて見た時から、桜が好きだ」

立ち止まった信継が、詩の前に立つ。

「俺だって、女子の経験がないわけではない。

が…

こんな気持ちになったのはお前が初めてだ」

「…」

「自分でも何でかはわからない」

「…」

「仁丸にも、譲る気はない」

「…」

「桜が、欲しい」

「…」

信継の、まっすぐな瞳。
詩は戸惑って、視線を伏せる。

「わたくし…は…」

キュッと唇を噛んだ。
洞窟で伝えた通り、高島家のーー信継のものになる気はない。

そのはず。

ただ、そのはずだった。

信継の手が、詩の髪を掬う。
この時代、身分のある人に望まれて断ることなんて、ほとんどできなかった。まして、後ろ盾もなく、『戦利品』として捕らえられた詩の立場では、なおさら。

「…っ」

「戦に行く前にーー約束が欲しいんだ。

頼む…断るな」

詩の髪を口に当てて、その香りを嗅ぎ、信継が詩を見下ろす。
その艶っぽく、熱い、瞳。

信継の視線の先は、詩の顔から徐々に下がっていく。
胸から腰、下半身。カラダの線に視線を感じて、詩は羞恥で震えた。

「…っ」

「桜はとてもキレイだ」

「…」

詩はたまらなくなって、数歩下がる。

掴まれたままの髪が、クンっと引っ張られた。

「…っ」

「ここの護衛は俺の言うことを聞く。

…このまま離さないと言ったら?」詩はコクンと息を飲む。

信継の強引さに、くらくらした。

「離れはたくさんある。

あそこの離れをいつでもが使えるようにしてもらっている」

信継の指さす先、明かりのついた離れが遠く、1つあった。

信継の瞳が揺れている。

「…」

「桜ひとり、なんとでもなる。

女子は弱いもの。

一度でも抱いてしまえばーー俺のことを好きになるはず」

その瞬間、詩の手がパチンと信継の頬を叩いていた。

正確には、詩の手は届かず、信継の顎の近くをかすめ、もっと正確には、かすめる前に信継の手がガシッと詩の手を掴んだのだ。

詩は手を上げた自分を『信じられない』とでもいうような顔をしている。
信継は掴んだ詩の手をぎゅうッと握る。

詩はその痛みよりも、自分が手を振り上げたことにふるふると震えて、信継を見上げた。

信継はじっと詩を見下ろす。

異変を察知した護衛が数名ザッと近づき、信継が手で制した。

「…いい。戻れ」

護衛は頭を下げてすぐに持ち場に戻る。

詩は動揺を隠せず、信継を見上げた。
握られたままの手もジンジンと痛む。

「…」

『戦利品』の自分が高島家の嫡男に手を上げるなど、投獄されても、処刑されてもおかしくないこと。
生まれてこの方、人に手を上げたことも、上げられたこともなかった。
詩は覚悟を決めていた。
それでも、なんでもーー自分の気持ちに正直でいたかったから。

ーーと、フッと信継が笑った。

「お前みたいな女子は初めてだ。

…気が強いな。ますます気に入った」

「…」

「とんだじゃじゃ馬姫だ。ならし甲斐がある」

「…」

詩は嫌悪感にカッと赤くなる。
『女』を道具や物のように扱うーーそんなことは、三鷹の人たちは決してしなかったから。

「離してください…。
わたくしは、ここの誰のものにも…なりたくありません」

信継が握った手を引き寄せる。

「…あ!」

きつく抱き寄せられた信継の腕の中ーー詩の頬は信継のみぞおちあたりにギュッと押さえつけられる。

「黙れ。

…お前ひとり…なぜ思い通りにできないと思う…」

低い囁き声は、詩に向けられたものなのか、自問自答なのかーー

「本気で望んだことなどなかった…

望めばほとんど何でも叶う立場にありながら」

「…っ」

「初めて望んだ女子ひとり手に入れられず…」

ーー苦しい…。
ぎゅうッと力を入れられ、詩は息もままならない。

「お前ひとり…どうにもできないのに

そんな俺に、この高島が守れるのか」

「…」

頼りなげな囁き声に、詩は何も言えなかった。

しばらくそのままギュッと抱え込まれーーそれから信継はゆっくり深呼吸すると、あっさりと、パッと手を離したのだ。

詩は反射的に、冷たい空気を胸いっぱいに吸った。

「…わかった、桜」

「…」

詩は信継を見上げる。

月明りが雲に陰り、信継の瞳の色を隠していく。

「…お前の気持ちは、よくわかった」

平坦な声。
真一文字に引き締められた口が、とても冷たく見えた。

「お前は戻れ」

そう言い置くと、信継は詩に背を向けて館の方へ歩き始める。

詩は、何故か動けずーーしばらくその大きな背中を見つめていた。

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